沖縄編(その2)もう一つの顔【OB首長~気まま旅~】

沖縄を知らない私の世代

今回は「いかに沖縄を知らないか」を思い知らされた旅でもあった。沖縄返還は昭和47年のことなので、私(1952年生まれ)の世代は学校で「日本の沖縄」を習っていないのだ。

県庁所在地の那覇市の名は知っているが、他の自治体名となるとなかなか出てこない。位置関係や距離感覚は全く不明だ。旅行中は地名の読み方にもなじみが薄く、移動はレンタカーのナビに頼るほかなかった。

地理ですら不案内なら、歴史などは分かるはずがない。首里城と尚王朝しか頭に浮かばないのだ。

忘れてはならないこと

そんな沖縄だが、忘れてはならないことがある。太平洋戦争時に日本国内において唯一、地上戦が行われ、多くの犠牲者を出したことである。日本軍の壊滅はもちろんのこと、一般住民の死者は94,000人と伝えられ、集団自決を含め、残酷きわまりない歴史事実がそこにある。沖縄訪問には鎮魂の気持ちが先に必要なのだ。

観光客で溢れるこの島の「忌まわしい過去」を想うと目頭が熱くなる。

自治体名は知らないが、覚えている地名に気が付いた。米軍基地の所在地である。沖縄は軍事基地や戦争史跡など「もう一つの顔」を持っているのだ。

沖縄本島は思ったより小さい

訪問日は奇しくも辺野古への基地移転を問う県民投票の翌日という巡り合わせとなった。さぞ賑わしい興奮状態が残っているだろうと思って「那覇空港」に降り立ったが、市内のどこを見渡しても投票に関する賛否のポスターや看板一つ見かけない。

前日のテレビ報道から感じたあの熱狂ぶりは、一晩にして消えてしまっていた。私はそこに「沖縄の不思議さ」と「県民の優しさ」を感じた。

沖縄道を北上すると左手側に米軍キャンプが長らく続く。直ぐに気がついたが、キャンプ地と住民生活圏の境目を縫うように高速道路が延びているのだ。上空を戦闘機が飛んでいたが、騒音はなかった。

地図とナビを見比べてみると、沖縄本島は思ったより狭くて小さい(1208平方キロ:淡路島の約2倍)。南北に長細い形だが、人口の多い中南部に基地は集中している。

沖縄に集中する米軍基地

私の悪い「気まま癖」である。観光に来たのだが、急に沖縄の基地を見てみようと思いたった。

日本全体の米軍基地の内、沖縄にはその70%が集中している。沖縄に基地を集中させたというよりは、元々沖縄にいたアメリカ軍が、返還後もそのまま残ったと考えればよい。嘉手納、普天間、キャンプシュワブなどの名前は多くの人が知っている。

朝鮮戦争時には実際の軍事拠点として、また冷戦時代には抑止面で大きな役割を果たした。近年はアジアや中台有事に対して、アメリカには欠かせない重要拠点としてあり続けている。

「基地の島は、攻撃の対象ともなる島となる」・・そんなことを考えながら、基地周辺を車で順に巡り、皮膚感覚を養った。

沖縄は第2次産業が極端に少ない県である。観光と基地がなければ今の生活は成り立たないだろう。基地での雇用や物資調達が、住民生活とあまりにも大きく絡みついている様子が容易に見て取れた。

沖縄にある米軍基地(沖縄本島の15%を占める)・・沖縄県HPより

県民投票に込められた想い

さて住民生活を常に脅かす普天間基地の機能を「辺野古」へ移設することの問題である。

辺野古は本島の中部よりやや北部の太平洋側に位置する。対岸の国道からは予定地が遠望できた。現地に足を運ぶと(仮に沖縄で移設をするとなれば)ここが適地とされた理由が、それなりに分かる。

場所的に、他の基地との陸上連携が取れ、周辺に一般居住者が比較的少なく、住民生活に悪影響を一番及ぼさないところ・・と思われるのだ。しかし貴重なサンゴの海が壊されるのも事実だし、埋め立て経費が膨大な額となること等々の批判があることにも理解ができる。

現地でよくよく考えてみた。実際に推進する立場の国の関係者も、現地のテント村で先頭に立って反対している活動家も、ほとんどが沖縄県民ではないのだ。

確かに県民投票は「辺野古基地の建設反対」が大多数の県民意向であることを示したし、その意味は大きい。「民主主義が問われている」との指摘もオーバーではない。しかし沖縄県民の本当の意思は、もっと深いところにあるように思われてならない。

異常な轟音との遭遇

帰路、那覇空港に向けて沖縄道を南下する途中のことである。異常な轟音が急に(窓を閉め切っていた)車を襲った。「何だ!この音は・・」と勝手に大声が出た。一瞬、大地震か車体のトラブルかと肝を冷やしたが、そうではなかった。戦闘機が高速道路の直ぐ上を低空で飛んだのだ。ちょうど場所は普天間付近・・・。この状況が日常茶飯事なら「住民の基地移転要求に無理はない」と実感できた。

世界で一番危険といわれる普天間飛行場(沖縄県HPより)

「沖縄の心」を学ぶために・・・

開票結果は沖縄県人を拘束するものではない。政府や県外の人々に「どうして沖縄ばかりを犠牲にするのか?」・「沖縄の心がお前たちは分かるのか?」と問うているのだ。

では「沖縄以外の県で受け入れは可能だろうか?」・・・きっと移転対象とされた県でも、同じく「拒否・反対の意見」が多数を占めるであろう。裁判所も「統治行為論」との認識を示す。これほどの難しい国家的課題は少ないのだ。

沖縄の人は、賛成者も反対者も棄権を選んだ人も、お互いの立場と気持ちが分かり合えているようだ。だから熱狂は1日にして消え、訴えの手段も翌日には消えていたのだ。

本稿では「沖縄の人たちは優しい」との感想だけを繰り返し述べるに止めたい。

次回の沖縄訪問時には、是非とも「平和祈念公園」や「ひめゆりの塔」をはじめ、各地の戦争遺跡を訪ねてみたい。「鎮魂」と同時に「沖縄の心」を学ぶために・・・。

(ふるさと未来塾 主宰 戸田善規さん)

 

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