超高速 西国33番「順打ち」巡礼編その4【OB首長~気まま旅~】

第6番札所 壺阪山 南法華寺(壺阪寺)

岩をたて 水をたたえて 壺阪の  庭の砂(いさご)も 浄土なるらん

 

思いやりの心 広く深く

壺阪寺は高取山の峰続きに境内を有する山岳寺院である。開基は大宝年間、続日本紀にも登場する弁基上人(べんきしょうにん)によると伝わる。上人が山林で修行していたとき愛用する水晶の壺の中に観世音菩薩を感得し、その壺を坂の上に納めて、観音像を造ったのがこの寺の始まりとされている。本堂内には室町時代に造られた「十一面千手千眼観音座像」が本尊として祀られている。

 

ご本尊 十一面千手千眼観音坐像

 

山岳寺院には霊験がつきものだが、この寺もその一つである。創建の昔からご本尊の「眼病封じ」の法力が広く知れわたっており、平安時代には桓武天皇や一条天皇が眼病の平癒祈願に訪ねられ、藤原道長ら貴族の参拝も相次いだという。その霊験のあらたかさは浄瑠璃『壺坂霊験記』でも語られている。

壺阪寺 三重塔

 

インドに来たのかと錯覚するような石仏が目立つ寺院であった。これは日本初の養護盲老人ホーム「慈母園」を開設後、国内外の福祉事業に尽力された常磐勝憲氏(常磐長老)が、インドでの活動のなかでハンセン病者の救済に長らく尽力され、その活動が元となって造られたものだ。

境内にある全長20mの天竺渡来大観音像、全長8mの大涅槃像、釈迦の生涯を描いた全長50mの石彫りレリーフが特に目立つが、いずれもインドの石で造られている。その常磐長老の大切にされてきた言葉が標題に記した「思いやりの心 広く深く」なのだ。心に染みる言葉だ。

壺阪寺 涅槃像と大観音

 

【一言アドバイス】

浄瑠璃『壺阪霊験記』のあらすじを知っていると更に関心が深まる。・・病気で失明した夫のために妻は壺阪寺に毎朝通い、回復するよう祈願し続けた。夫は密かに家を出て行く妻を疑ったが、やがてその疑念は晴れる。しかし夫には自責の念が残った。回復しない身体では妻に負担をかけると悲観し、壺阪寺の境内から谷底へ身を投げた。妻もそれを知って後を追う。壺阪寺の観音様はそんな夫婦愛に満ちた二人を救い、夫の失明も快復する・・という物語だ。見倣いたいものである。

 

第7番札所 東光山 岡寺(龍蓋寺・りゅうがいじ)

けさみれば 露岡寺の 庭のこけ さながら瑠璃の 光なりけり

 

日本初の「厄よけ霊場」

創建は極めて古く、天武天皇の子・草壁皇子の宮殿を義淵僧正(ぎえんそうじょう)が譲り受けて寺としたと伝わる名刹である。岡寺周辺は飛鳥時代に日本の中心となっていた場所であり、訪れるだけで歴史の重みが感じとれる。義淵僧正は東大寺を開いた良弁(ろうべん)や菩薩と仰がれた行基(ぎょうき)などの先師としても知られており、優れた法力の持ち主でもあった。

昔、飛鳥を荒らし回っていた暴れん坊の悪龍を僧正がその法力で池の中に封じ込め、梵字の「阿」を彫り込んだ大石で蓋をした。この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺」の由来であり、本堂前には「龍蓋池」が今でも残っている。こうした伝説が「災いを取り除く」信仰に発展し、密教の普及と共に広がっていった。それまでの「観音信仰」に「厄除け信仰」が加わり、我が国最初の厄除け霊場が形成されたのだ。

 

岡寺 本堂

 

ご本尊の「如意輪観音像(重文)」は我が国最大の塑像で、如意輪観音では最古の作品である。弘法大師がインド・中国・日本の3国の土を混ぜて造った尊像との説明文を読んだ。「如意輪」とは、物事を自分の意の如く叶えて頂けるとの意で、「その御名を唱えれば衆生の願いに意の如く応え、法輪を転じて衆生の迷いを破る」とあり、これが岡寺のご本尊「如意輪観音」の功徳で、境内は朝露の中さながら、瑠璃の光を放っている、と御詠歌に形容されている。

 

岡寺 如意輪観音塑像

【一言アドバイス】

岡寺は花の寺でもある。境内には3,000本のシャクナゲやサツキが植栽されており、4月中旬から5月上旬に訪ねると美しい花が楽しめる。歴史好きな方は義淵僧正を研究されると面白いかも・・。法相宗の祖で、朝廷に協力し、奈良仏教界のトップにあった義淵だが、生年や出自が不明である。だが小さい時は岡の宮(後の岡寺)で天武天皇と持統天皇の子・草壁皇子と共に養育されている。もしかすれば早世した草壁皇子と義淵僧正は双子の兄弟だったのかもしれない。古いナビだと道案内が違い、昔の細い道を通す。気をつけられたし!

 

↓こちらもあわせてどうぞ…超高速西国33番「順打ち」巡礼編その3

超高速 西国33番「順打ち」巡礼編その3【OB首長~気まま旅~】

コラム