北海道編 函館・余市・岩見沢・夕張の旅(その3)【OB首長~気まま旅~ 】
朝ドラ「マッサン」ロケ地の今
『マッサン』クランクアップ(左端:嶋町長)
嶋町長の車に同乗して真っ先に向かったのはニッカウヰスキー北海道工場である。実は平成合併の前、旧町の町長時代にも訪れたことがあり、15年ぶり2度目の訪問だ。裏側の駐車場から入ったが、見学者が多く構内の活気が前回とはまったく違う。やっぱりNHKのマッサンとインバウンドの効果だ。
最初に小さな洒落た建物の前を通った。嶋町長は「ここがテレビでマッサンとエリーの結婚式を撮ったところ」と、シャーロット・フォックスとの写真を示しながら自慢げに語った。
そして次に重厚なビルの中に・・・直ぐ一緒に出てこられたのが、工場長と総務部長の二人で「特別コース」を案内いただいた。竹鶴政孝とリタが暮らした家の中も拝見させてもらった。和洋折衷の古い建物だが、そのまま丁寧に保存されており、当時の生活ぶりを感じ取ることができた。
朝ドラでは、この建物が撮影用に忠実に再現されていたと聞いた。政孝は毎晩ウイスキーを多量に飲んだようで、座敷の中の襖を開けると専用の隠しトイレがあった。この場所も模写して放映したというから、NHKは流石である。
60度のウイスキーは天使の誘惑
ニッカウヰスキー余市蒸溜所
海に面した余市で蒸溜されたウイスキーの味は独特である。製造過程の説明を受け、ウイスキーの歴史も学ばせてもらった。竹鶴は実家が造り酒屋だったとのことで、酒造りに倣った注連飾りが洋風工場の中では異様だった。良質のウイスキーの出現を神様に祈っていたのだ。
飲酒コーナーの前で、工場長が「ぜひ一杯飲んでみてください」と微笑まれた。ここでしか味わえない60度の最高級ウイスキーだ。アルコール度数が高いのでと遠慮すると「先月、麻生副総理は一口でクッと飲まれましたよ」と重ねて勧められた。嶋町長も「折角だから・・」と促すので、私も誘惑にのって試飲した。
クッと一気にはいかず、味わいながらゆっくり飲むと、なかなか美味かった。後で聞くと(寒い地域の)ウオッカなど度数の高い酒は、味わうのではなく、一気に飲み干して身体を温めるのだという。麻生さんはそれを知っていて60度を一気に飲んだのだ。
売店には様々なウイスキーが所狭しと並んでおり、銘柄と値段を見ているだけで楽しくなった。
余市は「ソーラン節」の本家本元
余市町はソーラン節の元祖
「ヤーレン、ソーランソーラン♪」で知られるソーラン節は、余市発祥の民謡でニシン漁の応援歌である。その昔、余市の沿岸はニシン漁の本場だったのだ。
網元屋敷・福原家建物群(福原漁場)に案内してもらい、水産博物館の館長から詳しい説明を受けた。広い敷地に合理的に配置された建物やその遺物から、往時の活況ぶりが容易に窺い知れた。
福原漁場は「マッサン」で風間杜夫が扮した「熊虎」のニシン御殿のモデルとなったところである。昔の写真資料にはニシンが山のように積まれており、大群がやってくると海の色が変わったと記されている。「ニシン来たかとカモメに問えば〜」は、大げさではなかったのだ。
ニシン漁は重労働であり、多数の出稼ぎ労働者を必要としたという。「会津からの働き手が多かった」との嶋町長の一言を私は聞き逃さなかった。
函館編でも述べたとおり、賊軍となった会津藩士は悲惨だった。斗南(下北半島)に強制移動させられ受難を強いられた事実は有名だが、余市に入植して「りんご栽培」に苦労をしつつ、漁期には福原漁場で働いた一団もあったのだ。「熊虎」も会津藩士の子であった。
余市町と会津若松市が姉妹都市だと聞き、歴史の重みを肌身で感じた。明治期から昭和初期にかけて盛況を呈した余市のニシン漁だが、昭和29年の大漁を最後にその幕を閉じたという。
海鮮料理に舌鼓、再会を祝す
懇親場所は「柿崎商店 海鮮工房」・・・老舗魚屋が新鮮な魚介類を提供するために開いたお店で、毎日行列ができる人気店だと聞く。当夜は広い店内が貸し切り状態なので不思議に思ったが、私たちは嶋町長夫妻に歓待を受けた特別の客なのだと気がついた。
乾杯の直前に突然に現れたのは、北海道の名物公務員・岩見沢市観光主幹の長坂氏だ。仕事場から車を飛ばして余市まで駆けつけて来られた。気持ちが本当に有り難い。海鮮料理に舌鼓を打ちながら、皆で美味しいお酒を楽しんだ。
=つづく=