超高速 西国33番「順打ち」巡礼編その15【25播州清水寺、26一乗寺、27園教寺】OB首長~気まま旅~
第25番札所 御嶽山 播州清水寺(みたけさん きよみずでら)
あはれみや 普(あまね)き門(かど)の 品々(しなじな)に なにをかなみの ここに清水(きよみず)
霊泉の湧く山上の古寺
縁起によれば法道仙人による開山で、推古35年(627)天皇の勅願により根本中堂が建立され、十一面観音(秘仏)、毘沙門天・吉祥天女が安置されたという。また大聖堂は神亀2年(725)創建の聖武天皇勅願所である。もともと山上にあるこの地は水に乏しく、仙人・水神に祈ったところ、霊水が湧き出し、そのことに感謝して「清水寺(きよみずでら)」と名付けられたと記されている。
この寺の歴史で興味深いのは、いまは名だたる観音寺院だが、平安時代末期までは地蔵信仰の霊場として有名だったと聞くことだ。今昔物語にも草創期に「地蔵衆」と呼ばれた住職が堂舎を建てて地蔵菩薩像を祀り、その優れた霊験が国内に知られたと記されている。ちょうど貴族や庶民を巻き込んだ観音信仰の再興期に地蔵信仰の寺が、観音信仰の寺に何故か変わっているのだ。むしろそれを期に、観音を祀る別所や別院が脚光を浴びて信者達の期待に応えたというから、見事な変容といえる。末法思想の大波が、地蔵菩薩と観音菩薩に、現世利益と来世救済の両方の功徳を求めたのかもしれない。
大正2年(1913)の山火事でこの寺の伽藍はほとんど焼失し、今の根本中堂や大講堂は4年後から再建されたものだ。だが築100年にしては古色を帶びて重厚な古刹の風情を感じさせる。境内には寺号由来の名水が湧き出ている。
【一言アドバイス】
地元の北播磨にこんな名刹があることを誇りに思う。御嶽山は標高550m、寺有道路が整備されており、安全に駐車場にたどり着け、参拝ができる。訪れたのは2度目だが、今回は丁寧な説明を受けた。道路入口の改札所で「戸田町長さんですね、お待ちしていました」との挨拶を受け、ビックリした。私が33所巡りをしていることを知っている同寺院のS職員が、そろそろ来るな、と手を回してくれていたのだ。多可町の杉原紙を使っていただいている寺院でもあり、再び訪ねてみたいと思っている。京都の善峯寺と同じくホッとできる、私向きの山岳寺院である。
第26番札所 法華山 一乗寺(ほっけさん いちじょうじ)天台宗別格本山
春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙(たえ)なる 法(のり)の華山(はなやま)
優美な三重の塔(国宝)は、日本古塔の一つ
紫雲に乗って飛来した法道仙人が播磨の山中に蓮華(れんげ)のように八葉に分かれた地形を発見し、そこに降りて草庵を結び「法華山」と名づけた。白雉元年(650)開基の一乗寺は、孝謙天皇の頼願で伽藍が建立されたという。ご本尊は聖観世音菩薩。山の斜面を利用して配置された境内には、日本屈指の古塔の一つ、三重の塔(国宝)が優雅にそびえ参拝者の心を癒してくれる。
三重の塔の建立は平安時代末期の承安元年(1171)と伝わる。特徴はその屋根の構造にあり、「逓減率(ていげんりつ)」が他の寺院の塔と比べて大きいというのだ。三層の屋根のうち、一番下の屋根は鳥が羽を広げたように大きく、上の層になるほど屋根の広さが小さくなっている。またこの塔は地上からだけ見上げる配置ではなく、様々な高さや角度を変えて眺めることができるように工夫されている。参道の石段からは塔全体を真横から見ることができ、斜面に建つ舞台造りの本堂からは、上から眺める構図となる。ゆっくりと、その魅力を堪能してもらいたい。
この寺に伝わる法道上人の念力の話は有名だ。仙人は観世音菩薩像と鉄鉢と仏舎利のみを持し、飛鉢の術をもって供養を乞うた。ある時、播磨灘をゆく船に鉢が飛んだが、太宰府の船師はこの船荷は正税であると号して供養を拒んだ。すると船中の一つ残らず、群雁の如く当山(法華山)に飛来した。船師が驚き、当山を訪ね、悔謝して憐れみを乞うと、仙人は一鉢の米を残して、皆、船中に返した。船師は都に入ってこの話を広く奉じた・・・と縁起にある。
【一言アドバイス】
近くを通ることは数多かったが、訪れたのは初めてである。緑に囲まれた山の斜面に162段の階段が延びている。始めの広場に着くと、聖武天皇の勅願で建立された常行堂があり、この寺の重厚さを感じる。さらに石段を登ると三重の塔が真横に見えてき、その優美さを間近で楽しむことができる。目を奪われるので、足下の準備を万全にして参拝されるよう注意されたい。
第27番札所 書写山 圓教寺(しょしゃざん えんきょうじ)
はるばると のぼれば書写の 山おろし 松のひびきも 御法(みのり)なるらん
西の比叡山・播磨随一の名刹
書写山は西国33所で最も西に位置し、康保3年(966)性空上人による開基だ。上人は「書写の聖」として広く慕われ、西の比叡山と称されるほど発展した。花山法皇は2度も行幸されている。摩尼殿(観音堂)は崖の上に建つ壮大な舞台造りの建物で、ここからの眺望はすばらしい。ご本尊は六臂如意輪観世音菩薩である。
性空上人だが、幼少期から殺生を好まず、つねに寡黙で人と交わることを避け、法華経の読誦以外は一人静かに悟りの境地には入ることを日課にしていたと伝わる。貴族の出身ながら権勢や栄華とは無縁で、名もない地方の書写で仏堂に励んでいる姿は都人の心を打ち、憧れの対象となったようだ。また、どんな人から請われても書写山を離れなかったという。
性空は超能力に優れており、悟りと研ぎ澄まされた感覚器官や精神で、人の顔を見ただけで悩みを言い当て、解決策を伝授したという。性空の聖としての名声が高まると、都の貴人たちが結縁を求めて書写山にやって来たという。法皇の2回目の行幸はそのような背景があったのかもしれない。この後、霊場としての書写山に「圓教寺」の寺号と勅願寺の待遇が与えられ、その栄誉に浴しつつ、播磨を代表する大寺院へと発展していった。性空は98歳で入寂するが、92歳当時の肖像画が残されている。
【一言アドバイス】
ロープーウェイを利用して書写山に上るが、山上の広さに驚く。広大な境内だが高低差は少なく、全体に歩きやすい。また山上駅から摩尼殿まではマイクロバスも利用できる。圓教寺は半日以上かけてゆっくりと参拝するにはもってこいの寺で、ご利益も大きそうだ。
第3行程(日帰り:通算5日目)は、急に思い立って播磨の3ヶ寺を駆け足で廻ったものだ。播磨の名刹の歴史は、他国のそれに比して更に古い、ということを改めて知った。やっぱり播磨は歴史と伝統(伝承)の集積地なのだ。
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