北海道~函館・余市・岩見沢・夕張の旅【OB首長~気まま旅~】

兵庫県の町村会長を長く務め、全国町村会の役職を経たため、全国各地に現職首長や首長OBの友達がたくさんいる。また内閣府や厚生労働省の審議会にも携わったため、知事や著名市長の知己もできた。8年前、当時では珍しいフェイスブックを使って多可町の情報発信をはじめたことから、国・地方を問わず数多くの公務員や町おこし人ともつながっている。私の貴重な財産である。様々な交流を通して、現職の折から「ぜひウチの自治体にもお越しください」とお誘いを多く受けた。儀礼の言葉だったかもしれないが、私は真に受け迷惑を承知で、近隣に伺う機会があると彼ら(彼女ら)を訪ねることにしている。なぜなら、多可町にもぜひ来てほしいと自分自身が思うからだ。何かにつけて誠に自分勝手な人種、それが首長なのである。まして責任の荷物を降ろしたOBともなればなおさらのこと・・・。タイトルを「OB首長~気まま旅~」とした所以である。

 

北海道編  函館・余市・岩見沢・夕張の旅(その1)

 

北海道を訪ねたのは、つい先日のことだ。余市町の町長と岩見沢市の観光主幹に、数年前から「是非とも北海道へ」との誘いを受けていたからだ。二人ともフェイスブックで知り合った仲だが、既に面識はあった。余市町長とは東京での全国町村長大会の場で何度も出会ったし、岩見沢市の主幹には5年前に多可町まで足を運んでもらっている。

描いたコースは、函館⇒余市⇒岩見沢で、3泊4日の気まま旅である。よって降り立つ空港は函館空港。天気が良かったので鳥海山や白神山地、岩木山などが綺麗に見えた。竜飛岬から津軽海峡、函館山の上空を飛んで無事に着陸。意外だったのは上空から雪が全く見えなかったこと…北海道で11月中旬に積雪が無いのは極めて稀と聞いた。

午後2時、レンタカーでまず向かったのは「五稜郭」である。明治150年にあたる年でもあり、歴史を再確認したかったからだ。戊辰の役の最終戦(箱館戦争)の舞台で、榎本武揚や土方歳三、それに大鳥圭介らが戦ったのは知っている。総攻撃は明治2年5月11日、新政府軍による箱館占領を知った土方歳三は奪還に向かったが銃弾を受けて死亡。新政府軍の一隊が脱走軍の箱館病院を攻めたとき、病院長の高松凌雲が赤十字精神の大切さを訴えたと記されていた。そしてその高松をして旧幕府軍(脱走軍)への降伏が勧められ、五稜郭は開城されて終戦に至ったと初めて知った。

タワー最上階からの五稜郭

五稜郭公園の箱館奉行所跡

   

ここで、前々からの疑問が湧き出てきた。江戸を脱走した旧幕府軍は別として、奥羽越列藩同盟の諸藩は中立の立場を取り、反新政府ではなかった。長岡藩の河井継之助もその立場にあった。しかし結果は…読者周知の通りだ。藩主・松平容保が京都守護職を務めた会津藩への仕打ちは、あまりにもむごすぎる。江戸城無血開城による持って行き場のない薩長連合軍の義憤(偽憤)を、代表して受けたも同然だ。大政奉還も既に終わっている。いかに「徳川憎し」といえども、あれほどの復讐をする必要性・正当性はあったのか?明治以降は薩長史観で教育がなされてきたが、私は今でも大きな疑問を感じている。

五稜郭タワー

 

五稜郭タワーの上で、ふと気がついた。よく考えてみるとお昼をまたいだフライトで、昼食をとっていなかった。というよりお腹をすかせて調整していたといった方が正解だ。何故か?函館名物といえば「塩ラーメン」である。エレベーターを降りて、一番先に目に付いたラーメン店「あじさい」に飛び込んだ。味はいける…確かに美味い。後にわかったことだが、ここは函館ラーメンを代表する超有名店だった。

函館ラーメン

=つづく=

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北海道編 函館・余市・岩見沢・夕張の旅(その2)【OB首長~気まま旅~ 】

 

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