『山小屋の灯』【図書館からおすすめの一冊】
登山の経験もない私がこの本を開いてみたのは、美しい写真に心を惹かれたからだ。山小屋から立ち昇る煙、朝靄に包まれた山の木々、断崖の水場、雲海から顔を出す燃えるような朝日、大きなすり鉢でとろろを作る男性の姿、山小屋の「お母さん」の後姿。そんな写真とともに語られる山小屋のエピソードは、山を知らない私にはまさに未知の世界。のんびりと尾根や湖を巡り、山小屋での時を楽しむ北八ヶ岳。知らない者同士を結びつける会津駒ケ岳の自炊小屋。和牛のホホ肉を2日かけて煮込んで作る本格的ビーフシチュウが楽しめる南アルプス前衛、入笠山の山荘。尾瀬ヶ原では湿原にかかるという「白い虹」を思い、北アルプスの山小屋では囲炉裏端で岩魚の骨酒をチビチビやりながら、悠々と流れる山の時間を感じる。山小屋で働く人それぞれに人生があり、家族の歴史がある。時に語られるその思いは、猛スピードで変わっていく世の中とは別次元で流れる時間軸を持っている。そんな山小屋に出会った時、著者は「ああ、よかった。まだ間に合った」と感じるという。
ふたりで登ったはずの山の中に、数えきれないほどの人との出会いがあり、その会話や共有した時間が山の情景の一部となって強く心に残っている、と著者。人が介在することで、山はその輪郭をはっきりと持ち、唯一無二のものになった、とも。ここで語られる山小屋は16軒。それぞれに個性があり、登山者を待つ人がいて、その場所に集った人々がひとときを共有する。なんと羨ましい体験か。登山の歓びは人によって違う。山小屋を楽しむ登山があってもいい、そう思える一冊だった。
加東市東条図書館 稲田 正子
書籍情報
小林 百合子/文、野川 かさね/写真
山と渓谷社
図書館からおすすめの一冊シリーズ