敬老の日をむかえて 『敬老の日』発祥のまち 多可町

敬老の日の始まりは、多可郡野間谷村(後に八千代町を経て現在の多可町八千代区)にあります。

時は大きくさかのぼって戦後の動乱期の最中、1947年(昭和22年)9月15日、村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされます。当時の村長であった門脇政夫さんが、長い間社会に貢献してきたお年寄りに敬意を表すとともに、知識や人生経験を伝授してもらう場を設けることが目的だったそうです。日取りは、農閑期で気候的にも過ごしやすい9月中旬ということで9月15日に決められました。当日は、村中の自動三輪車を集めて55歳以上の人を送迎し、公会堂に招いてごちそうと余興でもてなしました。

翌昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が施行され、こどもの日・成人の日は祝日として挙げられましたが、敬老の日は挙げられませんでした。門脇さんは、この年に開催した2回目の敬老会で、9月15日を「としよりの日」と定め、村独自の祝日にすることにしました。そして2年後の昭和25年、兵庫県は他県に先んじて9月15日を「としよりの日」と定めました。さらに、県や国に対して働きかけを続け、昭和41年、ついに「敬老の日」として国民の祝日に加えられることとなったのです。

まちが敬老の日誕生に大きく貢献したことから、「敬老の日提唱の地」の石碑が刻まれました。約2メートルの石碑は現在も八千代公民館(現八千代コミュニティプラザ)の玄関脇に立ち、敬老の日発祥のまちとして誇り高きシンボルとなっています。

『敬老の日』提唱の地 石碑

敬老の日発祥から時を経て、当時とはお年寄りと呼ばれる年齢も変化してきたかもしれません。現在の55歳はまだまだ現役世代と呼ばれそうですし、還暦を過ぎたとしても、活躍を求められそうです。それでもなお、若者は年上の人を敬い、知識や人生経験を伝授してもらおうという姿勢で接していきたいものです。多可町から生まれた「敬老の日」への想いは、これからもきっと受け継がれていくことでしょう。

『敬老の日』ができるまでの経緯

昭和22年

9月15日、野間谷村(現・八千代区)で村主催の第1回敬老会を開く

昭和23年

国民の祝日に関する法律が施行される

こどもの日、成人の日はあったが「敬老の日」はなかったことから、県下各市町に働きかけ、活動の輪を広げる

昭和25年

兵庫県が「としよりの日」を制定する

昭和38年

老人福祉法が施行され、9月15日が「老人の日」となる

昭和41年

国民の祝日に関する法律が改正され、9月15日が「敬老の日」となる

平成15年

国民の祝日に関する法律が改正され、9月第3月曜日が「敬老の日」となる

 

コラム 多可町