超高速 西国33番「順打ち」巡礼編その9【12岩間寺、13石山寺】OB首長~気まま旅~

第12番札所 岩間山 正法寺(しょうほうじ)

水上は いづくなるらん 岩間寺  岸うつなみは 松風の音

 

雷よけ観音さんは、汗かきだ・・・

滋賀県大津市と京都府宇治市の境にある岩間山(443m)の中腹に位置する真言宗醍醐派の正法寺は、加賀の白山(2702m)を開山した泰澄大師により開基された山寺である。大師が千手陀羅尼の聞こえてくるという桂の木を使って仏像(千手観音)を彫り、胎内に元正天皇から頂戴した念持仏を泰安した。堂舎を建てて、その仏像を本尊として祀ったのが始まりと伝わっている。往古は熊野・吉野にならぶ日本三大霊場の一つとして隆盛していたとも縁起には記されており、いまでも境内は桂の大樹に囲まれている。

 

岩間寺(本堂)

 

山上にあるため度々落雷にあい焼失を繰りかえしてきたお寺だが、念持仏(秘宝)はいつも無事だったという。そんな謂われから「雷よけ観音」「厄よけ観音」として信仰されてきたようだ。だがいまは、予め落雷を想定してか、桂の木に変えて金銅製の仏像が本尊として祀られているから、面白い。

 

ご本尊は毎夜日没とともに厨子を抜けだし136地獄を駆け巡られ、早朝、寺に戻られたときには汗びっしょりになられているというので「汗かき観音」とも呼ばれている。そういえば納経所の若い住職も、汗をいっぱいかきながら朱印帳に押印をされていたのを思い出す。

 

また岩間寺は俳人の松尾芭蕉とも関係の深い寺で、境内には芭蕉の句碑や芭蕉の池がある。名句「古池や蛙飛びこむ水の音」はこの地で詠まれているのだ。

 

岩間寺:芭蕉の池

 

 

【一言アドバイス】

岩間寺は「近畿十楽ぼけ封じ観音霊場」の札所ともなっている。超高齢社会となって健康長寿やボケ封じを願う参拝者が増えているという。私も「認知症にならぬように・・・」と心から祈願したのは当然である。さて効果は如何に? 妻が関心を持って経過を見てくれている。

 

 

第13番札所 石光山・石山寺(いしやまでら)

後の世を 願うこころは かろくとも 仏の誓い 重き石山

 

何といっても、「紫式部」ゆかりの寺

紫式部ゆかりの寺として有名な石山寺は、巨大な硅灰石(国の天然記念物)の上に立つことからその名が付いている。京都から近いため、平安時代には貴人の間で「石山詣」が流行したという。女流文学者の参詣も多く、紫式部はここに7日間滞在して『源氏物語』の構想を練ったという。本堂に残る「源氏の間」には式部の作品や同物語にまつわる資料類が収蔵されており、十二単をまとった紫式部の御所人形が置かれている。

 

石山寺(源氏の間)紫式部の御所人形

 

聖教類の書籍が多く残っている石山寺は「学問の寺」としても知られており、また女人禁制ではなかったので、当時のインテリ女性に好まれたようだ。藤原道綱の母、和泉式部、清少納言、菅原孝標の女など、歴史的な文学作品を残した女流作家たちがこの寺を訪ねている。

 

後になったが、石山寺のご本尊は像高5mの木像で、自然石の上に据え付けられた蓮華台に座られる如意輪観音(重文)である。聖武天皇の勅願により天平勝宝元年(749)に良弁僧正によって開基されたと正式なパンフレットには記されている。

 

石山寺(山門)

 

【一言アドバイス】

水の豊かな瀬田川の流れと紫式部の人形だけが脳裏に焼き付いており、石山寺の全容を思い出せないでいる。近江京のあった大津市にあり、広い国道に面し、場所の分かりやすい寺であった。歴史好きからみれば、創建はもっと古く、壬申の乱後の672年説(口伝)の方が正しいと思われる。大海人皇子(天武天皇)に敗れた大友皇子(弘文天皇)の亡骸が、この寺の多宝塔の近くから出土しているからだ。

 

 

 

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