超高速 西国33番「順打ち」巡礼編その8【11上醍醐】OB首長~気まま旅~
第11番札所 上醍醐 准胝堂(かみだいご じゅんていどう)
逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな
高低差は400m…本来なれば最大の難所。
「花の醍醐」とよばれる桜の名所「醍醐寺」は京都屈指の大寺院である。笠取山の上醍醐は開創の地で、貞観年間(874年)に理源大師が霊水を発見し、小庵を建てて准胝観音像と如意輪観音を祀ったのが始まりと記されている。
清浄と母性の象徴である准胝観音を祀るお寺は、西国33ヶ所中ここだけで、子授け・安産・夫婦円満などにご利益があるといわれている。
本来ならば33ヶ所中の最大の難所である上醍醐の准胝堂は、平成20年に落雷で消失しており、現在は下醍醐の観音堂が遙拝所となっている。消失以前に参拝をされた方々は口を揃えて、ここが一番の難所だったといわれる。先に記した第4番:槇尾山よりもキツかったといわれる。高低差が400mというから正に登山だったのだ。その意味では、笠取山に登らなくとも参拝したと見做される今は、足腰の弱い参拝者や繁忙の信者には朗報ともいえるが、徒歩巡礼の意義や価値を考えると、早期の復興を望みたい。
室町時代末期には、戦乱により下醍醐も上醍醐も廃れたという。豊臣秀吉は、史上名高い「醍醐の花見」を催した。花見の会に北の政所や淀君、秀頼、前田利家などの武将や妻女、侍女ら1300人を招いたため、その盛大さだけが後世に伝わっているが、秀吉の本当の狙いは、荒廃した醍醐寺を復興させるためだったともいわれている。
【一言アドバイス】
「醍醐味」という言葉を知らない方はないであろう。でもその由来がこの寺にあると知っている方は意外に少ないのではないか。理源大師が初めてこの山に登った際、突然に老翁(山の守護神)が現れ、湧水を手で掬って飲んで「ああ、醍醐味なるかな」と言ったとされるのが起源である。下醍醐の茶店ではペットボトルの「醍醐水」が売られているので味わってみて欲しい。
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