これからの人達に対して、がんばれよと引っ張ってあげられる、応援できる存在でありたい ―――俳優・中西 良太さん【アンド・スマイルinterview】

ひときわ暑かった今年の8月、西脇市出身の俳優、中西良太さんが平成27年に脚本兼出演の映画「ある取り調べ」の上映会が西脇市民会館で開かれ、帰郷した中西さんの舞台挨拶に地元がわいた。

中西良太さんといえば、名バイプレイヤーであり、マルチプレイヤーである。本当にいろんな映画、ドラマ、舞台に出演している。インパクトのある役柄から、中には、俳優さんであることを忘れるくらい場面に溶け込んでいる作品まで、実にさまざまだ。西脇を舞台に繰り広げられた事件簿「さすらいのプラチナワゴン」(西脇市出身の池田政之氏脚本、平成24年12月放送TBS系月曜ゴールデン)では、本来刑事役のはずがスケジュールの関係で急遽市長役に変更になったとか。「オファーは98%断らない」の言葉とおり、スケジュールの空き次第では、きっとどんな役でも演じるということなのだろう。

身ぶり手ぶりで熱く語る中西良太さん

中西良太さん脚本・出演の『ある取り調べ』

この作品は、当時関西では映画好きが集うミニシアターを中心に上映された。被疑者と取り調べ担当の刑事、取り調べ補助の若手刑事、の実に3名しか出てこない。舞台も無機質な取調室と、その部屋から見える景色だけで展開されるという、非常にミニマムな設定。しかし、だからこそ、交わされる会話や、会話から伝わる登場人物の家族関係や背景が、より色濃く伝わって引き込まれる。重苦しい雨のシーンから雨がやんで幕が閉じたラストで、重いものが残りつつも、平和な現実に戻れたことにホッとさせられた。

 きっかけは、介護殺人の新聞記事

中西さんがこの脚本を書くきっかけとなったのは、飲んで帰ったある夜ふと目にした介護殺人の新聞記事だったという。「こういうしんどい人生を送っている人もいるのか」ものすごい現実に向き合っている人を知って、ただの悲劇としてやり過ごしてしまうのではなく、「もっと元気だそうとか、もっと背筋をのばして生きて行かなあかんとか、何かにつなげていきたい。そういう想いを芝居として表現してみたい」と。犯人は中西さんと同じ年だったこともあり、強く感じるものがあったという。しかし、現実に起こったことと創作の間(はざま)で悩み、中西さんが師と仰ぐ、渡瀬恒彦さんに相談をしたところ、「これいけるぞ」と力強い言葉が返ってきた。そこから実現した作品だった。

好きなことを、好きな人と、好きなように

俳優としての色が濃い中西さんだが、このように演じる側だけでなく、脚本をはじめ演出する側の仕事にも声がかかるそうだ。そのあたりのことについてお聞きすると、「それは一緒にやる人があっての話だ」と言われた。「自分が好きな人たちと、自然な形でこんなことやりたいなあという話が出る。そうしてつくりあげていく過程で、役者以外の仕事をしていく可能性もある」と。それはあくまで、人ありきなのだと。あたりまえのことのようで、他の仕事にも通じる言葉だと思った。好きなことを、好きな人と好きなようにやる。誰でもができることではないが、中西さんのような熟練した方だからこそ実現できることではないだろうか。

西脇近辺で俳優を目指す人の手助けはしたい

年を重ね「自分が自由であればいいんだと考えることで楽になれた」と中西さんは言う。

「自分は運がよかったから、学校を卒業して東京に出て、そのままやってこられたが、当時一緒にやっていた仲間の多くはその夢をあきらめてしまった」と。もちろん運だけでこんなに長く俳優を続けられるはずはないし、光るものあってこそのことだが、その才能に気付いてくれる人に早く出会えた、という運はあったのかもしれない。だからこそ、「これからの人達に対して、がんばれよと引っ張ってあげられる、応援できる存在でありたい」と思っているそうだ。「西脇近辺で俳優を目指す人の手助けはしたいと思っている」。西脇をはじめ地方出身の若い人たちにも気をかける中西さんのその言葉には、愛があった。

西脇は、いつでも帰って来られる故郷

中西さんにとって、故郷を出たという感覚は今もなく、ここ西脇はいつでも帰ってこられる場所なのだそう。また時々帰郷して、地元を元気付けてもらいたい。

 

※この日のインタビューは、「へそ・まち文化新聞」紙と同時に行われました。併せてお読みください。

 

 プロフィール

中西 良太(なかにし・りょうた)

1953年西脇市生まれ。

西脇高等学校を卒業後、1975年より劇団ミスタースリムカンパニーに参加、数多くの舞台をこなす。

以降、舞台・映画・TVで幅広く活躍中。

今回西脇市で上映された『ある取り調べ』では、脚本・出演を担っている。

 

 

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